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本郷の老舗旅館「朝陽館」が112年の歴史に幕 手塚治虫が宿泊した部屋も現存

4代目の種田守孝さん

4代目の種田守孝さん

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 文京区本郷にある旅館「朝陽館本家」(文京区本郷1)が今年3月で112年の歴史に幕を下ろすことになった。

112年の歴史に幕を閉じることとなった朝陽館

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 同館は1904(明治37)年ごろの創業。同じく本郷にあった菊富士ホテルとともに本郷の旅館街の先駆けとなった宿の一つとされる。かつて手塚治虫がこもって原稿を描いたという「蘭の間」も現存し、現在でも文筆家や週刊誌の漫画家などが同館にこもって原稿を描くことがあるという。

 文京区のホームページによると、本郷の旅館街は1928(昭和3)年には120軒が軒を連ねていたという。同館4代目の種田守孝さんは「自分が小学生のころ、昭和40年代くらいには50軒近い旅館があったと記憶している」と話す一方、「昔は本郷といえば旅館街というイメージがついていたが、旅館の数も減り、今ではその認識も薄れてきている」と続ける。

 最近は周辺にマンションが増えたことで、マンション住民を訪ねてきた親類などが宿泊するなど地域の利用が増えていたほか、「ちょっと古めかしい雰囲気を好む外国人観光客の利用も増えていた」とも。

 45ある客室全ての造りが異なるという同館。中でも各部屋の天井は、開いた傘を見上げたような造りのものをはじめ、それぞれが材を組み合わせた特長的な造りとなっており、種田さんは「伝統建築とはちょっと違うが、うちにしかない造りになっている」と話す。

 同館が立つかいわいは文京区の第二種文教地区に指定されており、「主に、住居系以外の用途地域内に指定し、学校、図書館などの教育文化施設とこれと一体となった良好な文教的環境の形成を図るため、風俗営業関連建築物、ホテル、劇場等の規制」(文京区)が行われており、旅館・ホテルなどの新設には規制がかかる。

 そのほか、昨今では旅館を取り巻く環境も変化し、「ここ数年で大工さんを含め補修をお願いしていた人たちも世代交代や廃業が相次ぎ、時代としても建物を残していくことも難しくなってきた」と言い、さまざまな要因が重なって本郷の旅館街は徐々に面影を消しつつあるという。

 種田さんは「三重県立四日市中央工業高校のサッカー部とは20年以上の付き合い。正月の全国高校サッカー選手権大会選手権の度にうちに泊まってくれていた。今年帰るときには、『朝陽館もうちのサッカー部の歴史の一つだから』と声を掛けられたときはうれしかった」という。「今は閉館を決め、地域の人や常連さんに『残念ですね』と声を掛けられることがある。そうやって残念がってもらえる旅館になれたことが本当にありがたい」と話す。

 今後は文京建築会ユースの協力を得て、同館の記録を何らかの形で残していく考え。

 最終営業は3月31日の宿泊分まで。4月1日のチェックアウトをもって営業を終了する。

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