東京の大学生と福島12市町村をつなぐ「F12FLYプロジェクト」
東京の暮らしは食料、エネルギー、人材と、常に地方に支えられてきた。特に福島県は、首都圏へ電力を供給する重要な地域だった。東日本大震災と原発事故から14年が経過した今、福島12市町村では若き起業家たちが独自の視点で新たな挑戦を始めている。従来の「支援される地方」ではなく、都市と新たな関係性を築きながら自らの力で未来を切り開く彼らの姿に、東京の大学生たちが注目した。
文京区関口の地域交流スペース「我楽田工房」を拠点に始まった「F12FLYプロジェクト」。文京区内で学ぶ大学生が編集長となり、学生記者たちが福島に移住した若手起業家たちを取材する。若者同士の対話から生まれる気づきと、東京と地方の新たな関係性の可能性を、全4回のシリーズで届ける。
(本記事はシリーズ第2回目)
右:阿部翔太郎さん 左:一緒に農業に取り組む原口拓也さん
阿部翔太郎さんの挑戦
「最初に畑を借りた時、『伝説が始まったぞ』という感覚がありました」
「ReFruits(リフルーツ)」副代表の阿部翔太郎さん(23)は、東日本大震災で被災した福島県大熊町でキウイ栽培による地域再生に情熱を注いでいる。今年3月まで大学生だった阿部さんの目には、2026年の収穫を目指す広大な畑で描く未来への確かな手応えが輝いていた。
私がこの取材を志願したのには個人的な理由があった。5年前から応援しているアイドル「TOKIO」が福島で農業に挑戦していたことがきっかけで、福島に興味を持っていた。大熊町でキウイ栽培に挑む若者がいると知り、すぐに取材を希望した。
キウイ畑の横にある小屋で取材
自分で道を切り開く生き方
阿部さんの挑戦の原点は、町の人々が語る「フルーツの町」としての歴史との出合いだった。かつて大熊町は、梨やキウイを特産品として大切に育てるフルーツの産地として知られていた。
「この町でたくさんの人が大切に育ててきたものや積み重ねてきた歴史は、誰かが語り継がないと残らない。僕らがやらないと、それが何十年後かわからなくなってしまうかもしれない」
キウイという親しみやすい果物をきっかけに抱いた「多くの人に大熊町に興味を持ってほしい」という願いが阿部さんを突き動かした。「キウイを育てる」という事業を通じて、地域の歴史を守り未来へつないでいきたい、という強い決意があった。
畑で学生たちに活動を伝える
取材から始まった新たな物語
横浜市出身の阿部さんと福島との出合いは、大学入学後のメディア取材活動を通してだった。大熊町を訪れた阿部さんは、そこで暮らす人々の温かさと地域への深い思いに心を動かされる。
「話を伺っているうちに、もっと深く知りたいという思いが強くなり、実際に現地を訪れて何かできることはないか」という思いが湧き上がり、大学3年生で休学して大熊町の隣、浪江町に移住するという大胆な決断をした。
「取材を進める中で、多くの人々が『昔はこの町のフルーツがおいしかった』『この町の誇りだった』と口をそろえて話していました。しかし、震災後の全町避難や除染作業によって、その大切なフルーツが失われてしまったという現実を知りました。自分にも何か関われることはないかと考え、キウイの再生プロジェクトに関わることにしたんです」
大熊町のマルシェで出店
ゼロから始める、伝説の第一歩
阿部さんの目に宿るのは、何かを生み出す喜びと挑戦へのワクワク感だ。
「会社を設立して約2カ月後、最初の畑を借りることができました。これまで自分の好きなことを思う存分試せる広いスペースを持った経験がなかったので、とても刺激的でした」
何もない場所から、自分たちの手で新しい価値を創造する。その成果が30年、40年先の未来まで広がっていく。阿部さんが目指すのは、単なるキウイ農家ではなく、大熊町の新しい歴史を創る「物語の紡ぎ手」なのだ。
「ゼロから1を生み出すという、ほとんどの人が経験できない貴重な体験。ただ作るだけではなく、誰もが認めるおいしいものを作り、実際に『おいしい』と言われたときの達成感は、他では味わえないものだと思います」
阿部さんの畑には手作りのトロッコも走り、TOKIOの番組さながらの光景が広がっている。私自身、TOKIOを応援しているので、この景色に特別な親近感を覚えた。その畑には、訪れた人を魅了する夢と創意工夫がたくさん詰まっていた。
阿部さんには明確な目標がある。「キウイの売り上げを1億円にする」ということだ。震災直前の2010(平成22)年、大熊町でのキウイ生産額は9,000万円ほどだった。惜しくも1億円に届かなかった先人たちの目標達成を目指す姿勢には、単なる数字ではなく、町の誇りを再びともす意味が込められている。
実験的に栽培された収穫されたキウイフルーツ
行動する若者の輝きに触れて
阿部さんの話を聞いて、私の最も心を捉えたのは、その行動力と情熱の輝きだ。考えるだけでなく、実際に動き、夢に向かって着実に歩みを進める姿勢。阿部さんの生き方そのものが、私たちにとってのワクワクする生きた教材だった。
F12FLYプロジェクトの学生たちも「一番すごいのは阿部さんの行動力。大学生でありながら、休学してまで大熊町に滞在し、実際に活動を続けている。その決断力と、事業のアイデアを考え、実行に移しているところが素晴らしい」と話す。
東京の大学生である私も、阿部さんのように自分の信じる道をまっすぐに進む姿に憧れを抱いた。阿部さんのように情熱を形にしていく姿勢、困難があっても夢に向かって進む決断力に心から感銘を受けた。この取材を通じて「もっといろいろなことに挑戦してみたい」という気持ちが自然と湧き上がってきた。阿部さんの情熱は、聞く人の心に火をつける力がある。
阿部さん自身も、「この地域には活発に行動している人が多く、その環境に身を置けること自体が大きな財産。周りから日々良い刺激をもらっています」と話す。周囲と響き合いながら成長する姿勢にも心を打たれた。
阿部さんの畑は、単にキウイを栽培するだけでなく、地域の人々や学生たちとの交流の場にもなっている。
「そんなに大変な作業をしてもらいたいというよりも、田舎で何か体験するとか遊びに来る感覚で」
農業という枠を超えた、コミュニティーの場としての可能性を持つ場所なのだ。
ワクワクする未来を、自分の手で描こう
阿部さんは「ぜひ畑に来てほしい」と呼びかける。
「別に『農作業、頑張ろう!』と気負う必要は全然ないんです。友達と一緒に来て、畑でダラダラしたり、おしゃべりしたり。まあ、ちょっとだけ草むしりでも手伝ってくれたらうれしいですけど(笑)」
「遊びに行きたい」と思わせるこの気軽さも、阿部さんの人柄そのものだ。
今年3月には、キウイの植樹体験ができるプロジェクトも始まっている。植樹した木に名前を書いたネームプレートを設置できる。畑は単なる農地ではなく、みんなの夢が育つ場所になりつつある。
阿部さんとの対話を通じて、私は「自分を主人公として人生を生きる」という生き方の素晴らしさを実感した。誰かの描いたレールに乗るのではなく、自分の感性を信じ、自分の足で歩む。阿部さんの姿は、私たち若い世代への大きなエールとなっている。
さあ、あなたも自分軸で生きて、自分の物語を始めてみませんか?
フィールドワークに来た大学生たち
東京の大学生と福島12市町村(※)の若きキーパーソンたちが出会い、交流と実践を通して互いに学び合う試み。彼らとの対話は、都会で学ぶ私たち学生にとって、既存の価値観を超えた新たな生き方の可能性を示してくれた。
地方と都市の関係性は、「支援する/される」の一方通行ではなく、互いの強みを生かし合う対等なパートナーシップへと進化している。福島12市町村で挑戦を続ける起業家たちの姿は、私たち若者自身のキャリアや生き方を考える上でも、貴重なヒントに満ちていた。
本記事は、このプロジェクトを紹介する連載の2回目。福島12市町村で新たな挑戦を続ける若者たちの姿を順次紹介していく。
※福島県12市町村とは、福島第一原子力発電所の事故により避難指示の対象となった南相馬市、田村市、川俣町、浪江町、富岡町、楢葉町、広野町、飯舘村、葛尾村、川内村、双葉町、大熊町を指します。
東京のマルシェに出店する大学生たち
【連載】
第1回:蒸留所から始まる挑戦・大島草太さん
第2回:キウイで町を盛り上げる・阿部翔太郎さん
第3回:花から醸す酒造り・渡邉優翔さん
【取材・執筆】
石川 美月(我楽田チーム)
東京農業大学1年。福島に強い興味を持ち、地域活性化に貢献したいと考えている。